「長篠の戦い」は、戦国時代の合戦の中でも特に有名で、教科書やテストにも頻出のテーマです。
本記事では、できるだけやさしく・コンパクトに、しかし歴史カテゴリの記事として違和感のない形で、
長篠の戦いのポイントを整理して解説します。
長篠の戦いが重要とされる3つの理由
まずは、「なぜ長篠の戦いが歴史上重要なのか」という点から整理しておきましょう。
この合戦が注目される主な理由は、次の3点です。
- 戦い方の転換点になった
当時「最強」と評された武田軍の騎馬隊に対し、織田信長が大量の鉄砲を用いる新しい戦い方で勝利しました。
それまでの「騎馬中心」の戦いから、「火器を活かした戦術」への転換点として位置づけられます。 - 天下統一への道が大きく進んだ
長篠の戦いでの勝利により、織田信長と同盟者徳川家康の勢力は大きく高まりました。
逆に、敗れた武田氏はこの戦いをきっかけに急速に弱体化し、やがて滅亡へ向かうことになります。
日本の「勢力図」が変わるきっかけとなった合戦といえます。 - 鳥居強右衛門のエピソードに代表される「武士の生き方」が示された
困難な状況の中で味方を救うために命を懸けた鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)の行動は、
戦国武士の忠誠心や生き方を考える上で、印象的なエピソードとして語り継がれています。
このように、長篠の戦いは「戦術」「勢力図」「人物エピソード」の3つの面から重要視されており、歴史学習でも必ずおさえておきたい出来事です。
基本情報:いつ・どこで・だれが戦ったのか
長篠の戦いの全体像をつかむために、まずは基本事項を整理しておきましょう。
- 年代: 1575年(天正3年)
- 場所: 三河国長篠城および設楽原(現在の愛知県新城市周辺)
- きっかけ: 武田勝頼が徳川方の長篠城を攻撃したこと
対戦した勢力の整理
| 軍 | 総大将 | 主な武将 | 兵力(目安) |
|---|---|---|---|
| 織田・徳川連合軍 | 織田信長 | 徳川家康 ほか | 約 3万8千 |
| 武田軍 | 武田勝頼 | 山県昌景、馬場信春 など | 約 1万5千 |
長篠城をめぐる攻防から始まり、最終的に設楽原での決戦へと発展していきます。
織田・徳川軍が勝利した理由:戦術面からの整理
では、なぜ織田・徳川連合軍は「騎馬隊で名高い武田軍」に勝つことができたのでしょうか。
勝因として特に注目されるのが、次の2点です。
1. 大量の鉄砲の運用
織田信長は、当時としては破格ともいえる多数の鉄砲(およそ3,000丁ともいわれる)を用意したと伝えられています。
鉄砲は威力が高い一方で、弾をこめるのに時間がかかるという弱点がありますが、信長はこれを部隊編成の工夫によってカバーしました。
いわゆる「三段撃ち」という、鉄砲隊を三列に並べて交代で射撃させる戦法が有名ですが、
近年の研究では、その実態については議論もあります。とはいえ、鉄砲を効率的に運用して継続的な射撃を行ったことは、ほぼ確実だと考えられています。
2. 馬防柵(ばぼうさく)の設置
もう一つの重要なポイントが、馬防柵と呼ばれる木製の柵です。
武田軍の強みである騎馬隊の突撃を正面から受け止めるのではなく、物理的な障害物を置いて勢いを止めたうえで鉄砲で攻撃する——という戦術がとられました。
この「馬防柵+鉄砲隊」という組み合わせが、長篠の戦いの戦術上の特色としてよく取り上げられます。
鳥居強右衛門のエピソード:長篠城を救った伝令
長篠の戦いを語るうえで欠かせない人物が、鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)です。
彼は、包囲された長篠城に立てこもる徳川方の兵士でした。
城は武田軍に囲まれ、援軍が来なければいずれ落城してしまう状況。
そこで強右衛門は、命がけで包囲を突破し、徳川家康や織田信長に援軍を求めに行く役目を引き受けたと伝えられています。
無事に援軍の約束を得たものの、帰り道で武田軍に捕らえられてしまいます。
武田方は強右衛門に、「城の者に『援軍は来ない』と嘘を伝えれば命は助ける」と持ちかけました。
しかし、城の前に引き出された強右衛門はこう叫んだと伝えられています。
「援軍は必ず来る。持ちこたえよ!」
この結果、彼は武田軍によって処刑されてしまいますが、
真実を伝えた行動が、城の守備隊を奮い立たせ、援軍到着までの時間を支えたと語られています。
鳥居強右衛門は、戦国時代の「忠義」「自己犠牲」を象徴する人物として、後世まで語り継がれることになりました。
要点整理:長篠の戦いを簡単におさえるためのまとめ
最後に、学習上おさえておきたいポイントを一覧にしておきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 年代 | 1575年(天正3年) |
| 場所 | 長篠城・設楽原(現在の愛知県新城市) |
| 対戦勢力 | 織田信長・徳川家康 連合軍 vs 武田勝頼 率いる武田軍 |
| 主な勝因 | 大量の鉄砲の運用と馬防柵の設置 |
| 重要人物 | 織田信長、徳川家康、武田勝頼、鳥居強右衛門 など |
| 歴史的意義 | 武田氏の衰退と、織田信長の勢力拡大を決定づけた合戦。 戦術面では、鉄砲の本格的活用と防御施設の組み合わせが象徴的。 |
おわりに:長篠の戦いから見える「時代の変化」
長篠の戦いは、一つの合戦の勝ち負け以上に、
戦い方の変化(戦術の近代化)と勢力図の変動を象徴する出来事でした。
騎馬隊中心の戦いから、鉄砲や防御施設を組み合わせた戦術へ。
名門・武田氏の没落と、新たな覇者・織田信長の台頭。
この合戦をおさえることで、戦国時代後半の流れがより立体的に見えてきます。
「長篠の戦いを簡単に知りたい」という入り口から、
日本史全体の流れや、武将たちの生き方にもぜひ興味を広げてみてください。

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